5月ももう終わりですね。私は先日、田植え前の草刈りをしてきました。とてもいい天気の中、シラサギやツバメ、カモまでもが自由に飛び交っていましたよ(^^♪ ですが、陽射しは強く久しぶりに大汗をかきました。来月には田植えが始まりますが、除草剤を使用しないので草取りに励まなければなりません。初めて田圃をした昨年は、知識のなさと怠け根性のせいで雑草が稲よりも大きく育ち、昔ながらの手刈りでの稲刈りが草刈りなのか稲刈りなのか分からないくらい大変でした( ;∀;) なので、今年は合羽も用意して最初に集中して草取りをする予定です。また、今年もいいお米が出来るように育てたいと意気込んでいますよ。
さて、話題が変わって一昨日の夜中でしたか、ふと目が覚めた時に過去の様々な出来事が頭の中を走馬灯のように過り、少しの間眠れませんでした。その出来事というのは、どちらかといえば想い出したくないこと。想い出したくないから蓋をしめて封印し忘れた”フリ”をしていた?出来事です。
眠いのでまだ寝ぼけてるような状態だったのですが、過去に相手が私に発した言葉によって私は凄く傷つき、それが憎しみに変わったことでした。数十年が経っているので忘れていましたが、潜在意識の根底には残っていたのですね。でもね、不思議なことに最初に浮かんだ映像は私が困っていた時に助けてくれた事だったんです。私が車で自損事故を起こして車が廃車になってしまい、その後に新しい職場に面接に行く予定だったと思うのですが、面接への送迎と採用が決まってからの数日間の通勤の送迎をしてくれたのです。当時、私が住んでいる家から通勤場所まで少し距離がありましたし、ましてや朝が早いのラッシュ時間です。その上、送迎をしてくれた方と私の自宅も離れていました。朝と夕方、主婦の方だったので大変だったろうなと思い、私はそこで改めて気づかされたんです。あの当時の憎しみの深さはなかったけれども、もう私には必要のない感情なんだと。憎しみ→嫌い→執着となって私の奥底に根強くあったから、想い出したんだな~って。そんな「わたし」をもう赦してあげよう・・・解放してあげよう・・・ってすぐに思いました。
「もういいよ。しんどかったね。今までごめんなさい。○○さんに感謝します。ありがとう。」
そう心で思ったら自然に朝まで寝ていました。こうして、自分の中の感情に気づき認めてあげることによって赦すという心の作業に入れるのです。気づいたその時から癒しは始まっています。自分のココロは自分にしかわかりません。感じるのも自分なんです。いつまでも相手の方やもの、周囲の出来事のせいにしていたって何の解決にもならず逆に自分を苦しめていくだけなんですね。
起こった出来事に関してイライラしたり、胸がギュ~っと締め付けられたりモヤモヤした時は、何故その感情が湧き出すのかを自分に問いかけてみてください。
答えは自分の中の重ねられた”層”にありますよ。