先日、片付けをしていたらクリアファイルが出てきました。そこには、今では見かけないワープロで小説のようなものを打ちこんだ用紙が・・・。
それは13枚、ページ数も13ページとしたためていました。見てみると、今から20年前くらいに私が書いて残しておいたものでした。
何を書いたのかと読み始めてみると、それは私が幼稚園児の頃からの生活の在り様と、その時にもった感情が書かれていたのです。
私の記憶が蘇ってきました。忘れていた記憶、蓋をしてきた記憶。思春期の時には母を記憶から捨て去りたいとまで思ったこと。
母に対して「死ねばいいのに・・・何で私を産んだんや、堕胎してくれたら良かったんや、産まれてきた意味ないわ」
そして、そこから私は人を信じる事をやめたのです。私には母はいない。独りで生きていく!と、まだ14才の私は家を出ていきました。母に言われ出て行かざるを得なかったのです。
そして、最終的に選んだ道への思いは自分への宣誓でした。知らない人がいる知らない場所。人間不信に陥った私にとってはとても怖い選択でした。
でも、そこで書かれている私の気持ちは
「決めた!私が自分でが決めた道や!だから進むしかないわ」
そして、行きついた場所で出会った人に会って、同年代の人を見て思ったことは「ふん!ガキばっかりや!呑気な顔してから!」と・・・。
今思えば私もまだまだ子供であります(笑)ですが、再婚相手を選んで今で言う育児放棄を母にされて裏切られた私は、同年代だけに関わらず周りにいる大人へも牙をむき出しにし「マヌケな顔をしてからに。」
そんな思いで過ごしていたことを赤裸々にしたためておりました。
忘れていたと思われる?遠い記憶。
読むたび蘇ってきた感情。胸が掻きむしられる思いでした。ですが、今”これ”を目にするという事は意味があるのだと思い、涙浮かべながら読みました。残念ながら途中までしか書いていなかったのですが、そこで私は気づいたのです。私はどんな時も「怖い方」を選んできたのだということを!
今まで経験をしたことのない未知の世界。経験をしたことがないという事は、頭で考えても先が分からない、見えないということ。私はそこへ自らこの身を投げ込み、チャレンジしてきたのです。
まだ若かったからできたのかも知れません。でもだからこそ得るもの、感じるものは他の人以上にありました。それが、年を重ねていくとそれまで以上の経験と世間様の眼、投げかけられる言葉、環境によっていつの間にか変化に対する恐れと我慢を覚え、「私を生きる」ということを止めてしまっていたのです。
そして出来上がったのが「今のわたし」
世間の操り人形の様に坦々と生活する日々。そしてそんな生活を選んだのは自分なのに、人のせいにして愚痴を言ったり陰口を言ったり・・・。結局は自分の値打ちを下げ、惨めな自分に陥れているだけなのにそんな行動に気づかず心を疲れさせてしまっている現実・・・。
誰でも、経験したことのない未知へ足を踏み入れるということはただならぬ恐怖に襲われます。先が分からないから不安があるのです。当然ですね。人の思考は見える事聞く事に翻弄されてしまうのですから。
ですが、例えば未来が分かれば、見ることができたらどうでしょう。
自分にとって最高の幸せが、願いが叶っている最高にキラキラしている自分が見えたら、感じたら?誰もが間違いなくその道を選択するでしょ。
その道を選ぶ選択権は自分にあるのです。他の誰かに代わってもらう事もなく、誰かに取られることもないのです。
そして、自分の中に”そのこと”に対する怖れが在る事に気づいたら、認め受け容れましょう。そして本当はどうしたいか、どうなりたいか、どんな未来がいいのかということを書き出してみてください。それができたら自分の中でイメージをしてみましょう。
そこには、どんな「わたし」がいますか?どんなことを感じていますか?「本当のわたし」に出会えたならあなたの現実は変わっていきます。