明日は春分の日ですね(#^^#) 日中は陽射しが暖かくなってきました。今はお彼岸に入っていますね。昨年母が亡くなった時も秋のお彼岸の時でした。では、お彼岸とはどういう意味があるのでしょうか?仏教では煩悩に満ち溢れるこの現世の世界を此岸(しがん)といい、対して悟りの境地であるあの世の世界を彼岸と呼びました。即ち、この世とあの世が最も通じやすい日と考えられ故人を偲ぶ日とされているようです。
私事ですが、昨日の3月18日は父の十三回忌でした。また愛犬の月命日でもあります。18日というのは仏教でいいますと観音様のご命日です。観音様に包まれながら天へと還って行った父は、改めて故人を偲ぶというお彼岸を選んだのでしょうか。
現在(いま)の私達が在るのは勿論天から頂いた命でありますが、ご先祖があって私達が存在します。そして「遺伝」という言葉がありますように、ご先祖から受け継いだものや事があります。それは病気や性格などだけでなく、地位や才能などといったものもありますね。そこには「想念」も加えておきます。現代の私達からすると戦前時代の生活など想像もできませんが、ご先祖は確かに生きていらっしゃいました。知恵をしぼり体を使い近所のみんなと共に暮らしておられたのです。現代の私達はお隣の人の顔も知らないことが多いですよね。医学でありましても野草などを煎じて飲んでいたようですが、やはりそれだけでは救われず亡くなっていった方が大半でしょう。遺った子や孫に何もしてやれないままこの世を去るご先祖たちは、その悲しみや心の痛みや苦しみ、そして子孫を愛するが故の想いが消化されず残ってしまうしまうのが想念なんですね。ご先祖はどなたも子孫の者に引き継がせたいと想っているわけではありませんが、見えない想念(エネルギー)は残ってしまうのです。そして、その想念を少なからず子孫の私達に影響を及ぼすということもあります。そんな想いを汲む、気づいてあげるということがご先祖にとって最高のお供養なんですね。その供養が一番通じやすい時がお彼岸なんです。
昨年9月に母が亡くなってから、昨日が初めてのお寺参りだったように思います。秋のお彼岸に亡くなった母を春のお彼岸にお寺へ行き、44年以上も前に離婚し、それぞれ別々の人生を歩み天へと還った私の両親を私の手で経木供養させて頂きました。何か不思議です。初めて私の両親が私の側に並んだような感覚でした。お坊さんに経木を渡すと両親の名前を読み上げ、お経をあげて下さいました。その僅かな時間でしたが、胸が一杯になり涙が込み上げてきました。ホッとしたような感謝の気持ちも入り混じった感情でした。暖かい気持ちに包まれたのです。
その後は、護摩焚きがあったので参加させて頂きお加持も頂戴して帰宅しました。父や母には意識があるうちに逢う事ができないまま見送ったので、私の中で消化されない想いがありました。でも、ご先祖は常にお側にいらっしゃいます。ただ、眼を使う「人」には視えないだけなのです。自分を労わること大切にすることが、ご先祖にとって子孫からの何よりの親孝行なのだと思います。